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【 COLUMN 】マリネッラ創業100年、そして次の100年
――20世紀イタリアの文化と社会とともに――
第四回「1930~39年:モダンデザインの土壌を耕す」

2023-3-10MARUNOUCHI TOKYO MIDTOWN

2024年6月に創業110年を迎えるマリネッラ。
メンズファッションエディター矢部克已氏による年代別のコラムを、記念すべき周年に向けてお届けいたします。

 

20世紀にスポットを当てた年代別のコラムは、イタリアの文化・風俗・ファッション・映画・芸術などの歴史を通し、トピック的な政治経済史を挿みながら、この100年の「マリネッラ」の存在を位置づけるものです。
「マリネッラ」の代表的な商品となる、ネクタイの伝統的な魅力や、巧みなものづくりを掘り下げるために準備した、イタリアとナポリの歴史哲学的な視座を踏まえています。

 

イタリアにも世界大恐慌の波がおよんだ。政府は、二大公社を設立し対応する。イタリア動産公社(Imi)は、公的資金による民間企業への融資。産業復興公社(Iri)は、主要五銀行の継続保障である。
両次大戦間期のこの時代は、色鮮やかでデザイン性に優れたイタリアン・モードの萌芽期でもある。レーヨン工業と絹織物産地が密接につながる。
1930年、“ヌオーヴァ・クチ―ナ・イタリアーナ”を提唱した天才シェフ、グアルティエロ・マルケージが生まれる。同年、イタリアではじめて日本美術が大々的に紹介される。会場はローマ。横山大観、川合玉堂など、168点の作品を展示した。
1931年、鉄骨とガラスを組み合わせた、アーチ状の屋根の象徴的なミラノ中央駅が完成。
記号論の泰斗、ウンベルト・エーコが1932年に誕生する。長編歴史ミステリ『薔薇の名前』は、全世界で5,500万部の大ベストセラーとなる。1932年は“ロンドンハウス”がナポリに創業した年だ。初代当主はジェンナーロ・ルビナッチ。エレガントかつ軽快なナポリスタイルを伝道したひとり。現在ショップ名は、“ルビナッチ”となり、ナポリ、ミラノ、ロンドンに店舗を構える。
1933年、哲学者アントニオ・ネグリがパドヴァに生まれる。マイケル・ハートとの共著『<帝国>』を著し、グローバル化した国家の包括的な再考を試みた。
小説家であり詩人でもある、ルイジ・ピランデッロがノーベル文学賞を受賞したのが、1934年だった。同年、ファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニがピアチェンツァで生誕。女優ソフィア・ローレンも同年ローマで生まれ、幼少期はナポリで過ごす。さらに1934年は、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅が改築完成。設計は、ジョヴァンニ・ミケルッチを中心とする建築集団、グルッポ・トスカーノがてがけた。
1935年、イタリアはエチオピアに侵攻。英仏などの帝国主義列強に対抗する目論見で、ムッソリーニが決断。
“トポリーノ”の愛称で親しまれた車、初代フィアット『500』が1936年に登場。デザインはフィアット社生え抜きのエンジニア、ダンテ・ジャコーザが担当。同年、シルヴィオ・ベルルスコーニが生まれる。建設業で財を成し、メディア王となり、計4代のイタリア首相を務めた。
1937年、ローマに国営映画撮影所「チネチッタ」設立。イタリア映画の世界的な趨勢(すうせい)が基礎づけられる。
1930年代のマリネッラは、シャツづくりに力を入れる。フランスから招き入れていた腕利きのシャツ職人から、完璧に技術を習得した地元のつくり手たちが、バリエーション豊かにシャツを仕立てる。工房では特別なサービスも。襟とカフを取り外せるシャツの洗濯とアイロンがけ。男性婚礼用の衣装や喪服の準備。その頃、一日に三回着替えるシャツを色別にそろえることなど、ナポリの紳士をサポートし、服飾の最先端へ導く。

 

Photos by Mimmo and Francesco Jodice for E.Marinella – “Napoli e Napoli” book

Twitter ID : @katsumiyabe

Instagram ID : @katsumiyabe

 

 

※マリネッラのネクタイはオンラインストアFLOENS TOKYOでもご購入いただけます。

⇒FLOENS TOKYO|E.MARINELLA商品一覧

 

 

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