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【 COLUMN 】マリネッラ創業100年、そして次の100年
――20世紀イタリアの文化と社会とともに――
第五回「1940~49年:闇と光。社会を翻弄させるも、著しい復活」

2023-5-19MARUNOUCHI TOKYO MIDTOWN

 

2024年6月に創業110年を迎えるマリネッラ。
メンズファッションエディター矢部克已氏による年代別のコラムを、記念すべき周年に向けてお届けいたします。

 

20世紀にスポットを当てた年代別のコラムは、イタリアの文化・風俗・ファッション・映画・芸術などの歴史を通し、トピック的な政治経済史を挿みながら、この100年の「マリネッラ」の存在を位置づけるものです。
「マリネッラ」の代表的な商品となる、ネクタイの伝統的な魅力や、巧みなものづくりを掘り下げるために準備した、イタリアとナポリの歴史哲学的な視座を踏まえています。

 

暗い闇に包まれた第二次世界大戦。ファシズムが国を飲み込み、イタリアも参戦した。開戦と終戦の1940年代。天と地ほど差のある社会で、未来へつなぐ新しい文化が飛躍する。
1940年、ファウスト・コッピが「ジロ・ディタリア」で総合優勝を果たし、華々しくデビュー。チクリズモ(自転車競技)の英雄の登場であり、男のスタイルにも影響を与えた伊達男だ。同年、イタリアが第二次世界大戦に参戦。
1942年、写真家オリビエロ・トスカーニが生まれる。“ベネトン”の広告写真でタブーを投げかけた。
1943年、ルーチョ・ダッラはボローニャで出生した。70年代のサンレモ音楽祭を機に『1943年3月4日』がヒットし、国民的ミュージシャンとなる。連合軍がシチリアに上陸したこの年、ベニート・ムッソリーニが失脚。
1944年、RAI(イタリア国営ラジオ)が設立。
1945年、仕立て職人のナザレノ・フォンティコリと、経営を担当するガエターノ・サヴィーニで、“ブリオーニ”を創業。ブランド名は、トリエステからほど近い高級リゾート地、ブリオーニ島から命名した。同じ年、ロベルト・ロッセリーニが監督した『無防備都市』が公開。ネオレアリズモ映画の幕開け。“オリベッティ”のタイプライター『レキシコン80』が登場したのも1945年だった。インダストリアルデザイナー、マルチェロ・ニッツォーリによる機能美を追求した数々のデザインで、イタリアを世界トップレベルの「デザイン王国」に導く。
1946年、王制廃止。同年、トランスアバンギャルド運動のメンバー、画家サンドロ・キアが誕生。クッキ、クレメンテで3Cとなり、世界のアートシーンを席巻する。1947年、ルカ・ディ・モンテゼーモロ生まれる。F1チーム、フェラーリ監督のほか、コンフィンドゥストゥリア(イタリア産業総連盟)の会長を務めた。ダンディな出で立ちがアイコン的存在に。同年、“イノチェンティ”から『ランブレッタ』デビュー。“ピアッジョ”の『ヴェスパ』とともに、二大スクーターとなる。
1948年、ヴィットリオ・デシーカ監督の『自転車泥棒』公開。ネオレアリズモの手法、素人を主役に抜擢した。
画家エンツォ・クッキの誕生は1949年。同年、ルーチョ・フォンタナが、キャンバスに切り込みを入れた『空間概念/ConcettoSpaziale』シリーズを制作。コンテンポラリーアートの歴史が塗り替わる。
第二次世界大戦中、マリネッラのショップは何もない状態が続いた。イタリア政府の輸入禁止措置により、イギリスから商品を仕入れられなかったからだ。ショップの看板に記された“Shirtmaker, Outfit”の外来語使用も禁止。その頃、当主のエウジェニオ・マリネッラは毎朝ショップの前で、訪ねてくる客に状況を説明。しかし、終戦後、ナポリの情勢は一変。店からほど近い、サンカルロ劇場などで連日イベントが繰り広げられた。日に3度の着替えも復活し、マリネッラのシャツ、パピオン、ネクタイは再び超人気商品となった。

 

Photos by Mimmo and Francesco Jodice for E.Marinella – “Napoli e Napoli” book

Twitter ID : @katsumiyabe

Instagram ID : @katsumiyabe

 

 

※マリネッラのネクタイは公式オンラインストアFLOENS TOKYOでもご購入いただけます。

⇒FLOENS TOKYO|E.MARINELLA商品一覧

 

 

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